( ‘A`)サッカーシーンにおいて、クラブチームの顔ぶれは、2~3シーズンもすれば、ガラリと変貌を遂げることも珍しくはありませんが、選手を束ねる指揮官ともなると、その代謝はもっと激しいかもしれません。それに比べると代表チームの監督は比較的息が長く、ワールドカップのサイクルに呼応するように、無事に行けば4年間の就任、長期政権ともなるとそれ以上ということになるでしょうか。
ドーハの悲劇を経て、ようやく夢の扉を開いたサッカー日本代表は、98年のフランス大会に出場。はじめてのワールドカップは3戦全敗、勝てるだろうとたかを括ったジャマイカにも足元をすくわれ、帰国の途に就いた際、戦犯扱いの矢面に立つことになった城彰ニは、大勢のファンやマスコミでごった返す空港で水を浴びせられる結果に。
日本中が中田フィバーにわきかえり、世界の強豪とのリアルファイトに釘付け、未知の世界であったW杯では手荒い洗礼を受け、それまでのサッカー熱もひと段落。話題はペルージャ移籍へと移り、そして新たなトピックとして、次なる日本代表の監督はいったい誰が就任するのか?と、青いユニフォームに束の間の休息などなかったようです。
当時、歯医者の待合室で読んだ女性週刊誌には、フィリップ・トルシエールの文字
( ‘A`)別に誤植ではなく、発音の差異だったんでしょうけど、トルシエールと書かれていました。それまでの暫定的だった岡田政権は、フランス人指揮官に取って代わり、傍目から観察する分にはユニークなキャラクターながらも、実際にやり取りする選手たちからは、奇人変人でしかない、トルシエという人物が就任。
合宿ではそれまで不動のボランチであった山口素弘がケチョンケチョンにされ、後にDFラインを統率する森岡隆三に至っては、ケガをさせられたりと、マスコミとの相性が悪かったことも手伝い、話題には事欠かない監督でもありました。
それでも、ワールドカップのホスト国という難しい立ち場ながらも、20歳以下の選手で構成されたワールドユースでは準優勝、シドニーオリンピックベスト8、アジアカップ優勝、コンフェデ準優勝、ワールドカップではベスト16と、節目節目ではそれなりの成績を収めてきたと言えるのではないでしょうか。
モダンか?それとも時代遅れか?
( ‘A`)日本代表に持ち込まれた戦術論のような戦術「フラット3」。オリジナルポゼッションというおおよその立ち位置をベースに構築されるフラットな3バックは、常に高い位置を保ち、DF3人がそれぞれに独立していながらも、共通の戦術理解を持ち、一糸乱れぬ阿吽の呼吸を必要とするため、ディフェンスラインを統率する森岡隆三や宮本恒靖といった選手たちも、ディフェンスリーダーとしてフォーカスが当てられることに。
これはどんなサッカーでも当たり前のアクションかもしれませんが、フラット3の場合は特に顕著で、 敵ボールホルダーが横を向く、もしくは横パス、または敵ボールホルダーが後ろを向く、もしくはバックパスをしようものなら、「アップ!アップ!アップ!」と声を出してはラインを一気に押し上げる。
すると、相手のフォワードはオフサイドエリアへと追いやられ、苦し紛れのロングボールでも蹴飛ばせば、オフサイドフラッグが天高く掲げられるというのが、フラット3における象徴的な光景でしたね。森岡隆三の言葉を借りるのなら「オフサイドトラップをかけているのではなく、勝手にオフサイドになっている」。というのは、確かにその通りかもしれません。
DFラインをいくら高くしても、その背後にある広大なオープンスペースは、絶対に使われない未踏の領域。何故ならフラット3における極論として、「そこはオフサイドエリアだから」と、理屈の上では絶対に破られない守備システムではありましたが、攻略法は至って単純。精度の高いロングボールと、オフサイドの網をかいくぐる2列目、3列目からの飛び出しが組み合わさることによってフラット3 は破綻、広大な守備エリアを3人で守りきるのは不可能に近く、強豪相手にはトルシエが「廊下」と命名したサイドエリアの選手も、守備に忙殺されざるを得ないというのが本音かもしれません。
当時の欧州王者であるフランス代表に大敗した雨のサンドニ
( ‘A`)5-0の大敗、日本では早朝の5~6時台のオンエアでしたが、ジダンやアンリといった錚々たるガチメンバー相手にフルボッコですよ。通用してたのが、ひとり気を吐いた中田英寿のみと、チームでも個人でも実力差は明らかでしたが、フランスはワールドカップとEUROの覇者として、日本はアジア王者として臨んだだけに、突きつけられた現実は、まさにサンドニショックでしたね。
そして、そんな衝撃を受けようとは思いもよらなかった、およそ半年前に制したアジアカップメンバーを再現したのが、今回紹介する「トルシエクラシックス」のインポートデータになります。
トルシエが登場したのはウイイレ6?
( ‘A`)正確にはトルシエ風ではありますが、ウイニングイレブン6のトレーニングモードでは、檄を飛ばすスーツ姿の監督らしき人物が立っているんですよね。
( ‘A`)通訳のダバディは見当たらないようですね。
メンバー紹介
GK
- 川口能活
- 下田崇
- 高桑大二朗
DF
- 森岡隆三
- 松田直樹
- 服部年宏
- 中澤佑二
- 海本慶治
MF
- 名波浩
- 中村俊輔
- 小野伸二
- 三浦淳宏
- 森島寛晃
- 稲本潤一
- 明神智和
- 望月重良
- 奥大介
FW
- 西澤明訓
- 高原直泰
- 柳沢敦
- 久保竜彦
- 北嶋秀朗
モンタージュ
( ‘A`)オールバック時代の川口能活、ずっと見てると関ジャニ∞の安田章大に見えてくる不思議。
( ‘A`)名波浩兼矢部浩之。いくらモンタージュを重ねてもやべっちになってしまうので、ウイスクリニックは早仕舞いです。
( ‘A`)トルシエに左サイドで飼い殺しにされた中村俊輔。当時の華奢な体つきを含めて再現してみました。両手に持った草刈り鎌の二刀流で、相手DFをガッサガッサと刈り払うような、あの独特のドリブルモーションは、ランニング時の姿勢をいじることで妥協。
( ‘A`)3分ぐらいでサクサクッと完成したキタジこと北嶋秀朗。高校サッカー選手権では、市船のエースとして、中村俊輔のいる桐光学園を破り、優勝したのよね。
( ‘A`)トルシエが黙って1年使い続ければ、左の大砲として覚醒したと、何かのサッカー雑誌で読んだ記憶のある久保竜彦。というわけで覚醒前の久保ですね。朴訥な雰囲気は出せたような。
ユニフォーム
( ‘A`)ネット上で拾得した99-00年モデルの日本代表ユニフォームですが、一部のデザインがリアルモデルとはだいぶ異なる内容だったので、若干の手直しをしました。加えて、継ぎ接ぎを繰り返し、当初は存在しなかったオールブルー、オールホワイトも3rd、4thとして導入しました。写真は3rd扱いのパターンですね。
戦術プラン
( ‘A`)ご覧の通り、基本フォメはDFラインをいちばん高く設定した3バックを基礎とする、3-4-1-2です。中村俊輔のスタートポジションは左サイドですが、当時のアジアカップでは、時より名波浩とポジションチェンジを繰り返していたので、攻撃時になると以下のようにふたりのレフティーが入れ替わります。
( ‘A`)左サイドに固定したい場合は、可変フォーメーションをOFFにしてください。
ギャラリー
( ‘A`)ハリルジャパンと対戦しても遜色のない強さを発揮してくれます。
( ‘A`)「日本」というチーム実況名は使えないっぽいので「東京」にしました。
( ‘A`)いつかのオランダ戦で、どちらがフリーキックを蹴るかをめぐり、「これ外したら引退ですよ」的なことを言ったとか言わないとか。そんな日本代表の新旧レフティーが、ウイイレ2017で相まみえる。
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